あきのもみじ

元気でない時ほど吐き出したくなると思うんです

「普通」と「一般論」

頭のおかしい親を持つとどうも

会話のキャッチボールができない

発達障害者の親もまた発達障害っていう

例がわりとあるみたいで

つまり周りのフォローが必要な子供には

同じく周りのフォローが必要な大人が

セットでついてくることが多いんですね

 

それ自体は悪くありません

サイコパスほど本当に人間としてのルールが

守られないのであれば仕方ないですが

いろんな思いを抱きつつも

ちゃんとルールを守って生きているので

何も悪くないです

それどころか見えない「空気」に

常に攻撃を受けてつらいと思います

 

発達障害でなくとも人は苦手なこと

誰にでもあると思うんですね

それは自覚をして予防する

忘れっぽいならメモをとるし

朝起きられないなら目覚ましを増やすなど

そうやって生きてると思うんです

ここでダメな親ってのは障害の有無はともかく

ここがダメだ、これができない

などの自覚をして予防しようとしない

「俺は俺自身だから何も悪くない

俺の存在はありのままの俺である!」

みたいな存在です

 

障害のあることは仕方がないです

誰だって生まれつきもしくは事故や病気で

後から持ったりもします

左手が使えないなら右手が経験を積んで

右手がすごく器用になるとか

そうやって誰だってカバーして

生活しているんです

迷惑は絶対にかけてしまうものだけど

なるだけかけないようにって

予防して生きているんですよね

もちろん障害あるんだから仕方ないだろ!

とは本人が言ってはいけない気がしますけど

周りのフォローは本人が努力しているから

理解してくれるものだと思います

少なくとも「自覚」が必要です

なので知らんぷりしてるとか

さらには気づいてすらいないなんて

言語道断なんですよ

何か問題が起きたとして

「もしかしたら」が考えられない人は

親になってはいけないと思います

自信を持つのは大切ですけど間違ってるのに

間違ってるわけがない!とか

矛盾を指摘すると

世間が矛盾だから…とか言うのは論外です

世間の矛盾は理解してるけど

この場合あなたが間違いを正せば

何もおかしくないんですけどね?

と言う状況が多すぎると思いました

 

私は空気が読めません

経験から読める時やフォローできる事が

増えてきましたが基本的には

どうもズレていたりします

自分が変わり者だと自覚もしています

そしてただの自分の存在が認められないから

変わっているという事を大切にして

それがアイデンティティになっています

つまり「一般的」「普通」を求められることは

やんわりと死ねと言われているということです

 

と言えど生きてきた経験から

合理的、一般的に考察ができたり

道徳的な意見を持つこともできます

なので自分の頭でも理解できる「普通」は

いくつかあるんです

ここでいう普通は障害者を悩ませるような

「普通の定義って何?」的な物ではなく

マナーとかの意味で使っています

例えばお葬式に出席したら

大声で騒がないとかそのレベルの話です

まあその程度なら一般的にこうだろうなって

私でさえ気づく事ができる

頭のおかしな親はそこがまず違う

「普通わかると思うけど?」と

言いたくなるようなことがわかっていない

嫌いなので大げさに辛辣に言います

嫌いじゃない人ならそんな皮肉言いませんし

まずイラつきすらしません

人が違うので知ってる知らないは違いますし

そこは理解してます

そして相手もこちらも「普通」を

押し付けたりもしないのです 

なぜこんなに親が嫌いで

だからこそ大げさに皮肉るのかというと

そのレベルのマナー的なことは全く

気が付きもしないのに

「一般論だから、普通だから」と私に押し付け

または私のことを「普通だと思う、普通になれ」

などと言うからです

 

憎しみがフィルターになって

大げさにイラッとしてしまいますが

わかりもしないのに他人に押し付けるのは

やめて欲しくて大嫌いなんですね

そしてアイデンティティを理解しない

ストレートではないにしろ

アイデンティティを無くすことはつまり

死ねと言ってることと同じです

私は私の「性質」を大切にしたいと考えます